平成19年に開業してから今日で丸11年になりました。色々ありますが、無事に続けてこられたのも地域、患者さん、スタッフをはじめとした私を支えてくれるすべての皆さん、そして家族の理解があってのことと感謝しております。これからも頑張る所存です。
また今日は私事ですが、私の50歳の誕生日でもあります。孔子の論語を紐解きますと、「知命」の歳になります。五十にして天命を知る。この意味の解釈については様々な意見があります。五十で天が自分に命じ、与えたものが何であるかを悟る。今までの生き方で己の限界を悟り、あきらめること。どんなに人事を尽くしても、何かしらの理由で思うようにいかないことがある。それが天命である。しかしながらだからといって努力をやめるわけにはいかないということを悟ること。等々。
孔子の時代であれば50歳という年齢は老境の域に入っており、人生100年時代の現代とは比較できるものではありませんが、自分にとって「天命」とは何であるのか。思えば子供の頃にテレビでみた野球選手の復活劇をみて医師になることを志し、自分が怪我で苦しんだ経験から整形外科、膝関節外科の道を進み、そして患者さんが治っていく姿を見届けたいという思いから開業したこと。その時々の考え、思いは今から振り返れば自然の経過であって、それは「天命」であったのかなと思います。そして人生100年とすれば、折り返しとなるこれからの道をどう生きていくのか。まだまだ「悟る」というわけにはいかなさそうです。
五十年といえば、織田信長も好んだといわれる幸若舞(くせまい)の作品である「敦盛」の一節、「人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり。ひとたび生を得て滅せぬもののあるべきか」も思い出されます。人間の一生は所詮五十年に過ぎない。天上世界の時間の流れに比べたらまるで夢や幻のようなものであり、命あるものはすべて滅びてしまうものなのだ、という意味ですが、信長の場合は「どうせ人生は五十年しかないのだから、死ぬ気になって思い切ってやってやろう」と言った、非常に勇ましい気持ちをこめたのではないかという意見もあります。私もまだ50年あるのだから、色々積極的にやってみよう、という気持ちで元気に折り返しの人生を歩んでいきたいものです。